『西瓜糖の日々』 リチャード・ブローティガン

In watermelon sugar by Richard Brautigan

『西瓜糖の日々』は藤本和子による訳書である。初めは邦訳で読み、その後原著が気になり読んだところ、英文小説に不慣れな私にもありありと漂う西瓜糖の香りをかぐことができた。

この小説は西瓜糖での暮らしぶりの語りに始まる。いつかは私も訪れたいが、今のところは何度も読み返したこの世界の雰囲気だけでも又聞きとしてご紹介しよう。

西瓜糖は釣り合いのとれた箱庭の世界である。内部で完結したなめらかでしとやかな日々。広大なこの地にあるのは彼らの暮らす所だけ。 ここは独特の美しさを纏う箱庭だ。Wonderはあるが、Whyはない。自然との調和の中でただ生まれ、老い、死んでいく世界。

西瓜糖の魅力はこのself-containedで平衡的な世界のありようにある。内に閉じこもりただ自分自身の温もりを感じ、 外の暗闇から目を背け内なる平静を慈しむ心の静寂こそが西瓜糖を満たす。

ここの人々にとって外部とは闇である。果てしなく続く闇に人々は行きたがらない。闇は忘れられたものだからだ。忘れられた闇には忘れられたものしかない。 思い出せなくていいもの、知らなくていいもの、よくわからなくていいもの。

なぜ闇へ行くべきだろうか、いや行かなくていい。より多い、より変わった、より見事なものを求めるのは飽くことをしらない者の行いとも言える。 空間がなければ隙間は生まれないのだから。

ここの暮らしは静かな水面のようだ。一滴のしずくが際立った波紋を広げることが見て取れる、小さな庭園の鏡のような池。池には鯉が泳ぐ。 大小、色とりどりのヒレをはためかせ、鯉は気ままな遊泳を続ける。そのすべては池の静寂を破ることはない。

ブローティガンの『西瓜糖の日々』は、原著はさることながら、珍しく邦訳も負けず劣らずどころかそれ自体が新しい著作として成立するほどに良い作品に思える。

幻想的でどこか物寂しい西瓜糖は私のあこがれの土地である。

watermelon